今回は久しぶりに、行政書士試験の家庭教師の立場で司法権について書いていきます。
司法権について勉強中の方は参考にしてみてください
憲法を一言で表すと人権と統治
憲法とは、人権と統治(目的と手段)で成り立っています。
人権を守るために憲法があり、そのための手段として統治があります。
憲法においては、
41条から国会について
65条から内閣について
76条から裁判所について
規定されています。
つまり、三権分立で成り立っているということです。
司法権について
司法権とは具体的な争訟について、法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家の作用のことを言います。(通説)
具体的な争訟(法律上の争訟)って?
具体的な争訟(法律上の争訟)とは
1、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であること。
2、法律を適用することにより終局的に解決することができるのものであること。
が必要であるとされています。
よって、上記2つがそろって初めて、法律上の争訟となり司法権の範囲内に入ってくることになります。
つまり、上記の内1つでもかけると司法権の範囲外となり裁判所は判断ができないものになります。これが司法権の範囲外ということです。
司法権の範囲に関する判例
警察予備隊違憲訴訟
「板まんだら」事件
日蓮正宗蓮華寺事件
などを参照にしてください。
司法権の限界とは?
司法権の限界とは、司法権の範囲内ではあるけれど、裁判所が司法審査をしない、又は司法審査ができない場合があることをいいます。
司法権の範囲外と限界の違いには要注意してください。
司法権の限界には
憲法の明文上の限界
(議員の資格争訟の裁判、裁判官の弾劾裁判)
国際法上の限界
(治外法権、条約による裁判権の制限)
憲法の解釈上の限界
(自立権に属する行為、自由裁量に属する行為、統治行為論、部分社会の法理)
などを具体的にあげることができます。
自律権に属する行為とは
主に立法権が問題となりますが、他の国家機関の自律権に属すること(議院の議事手続など)については、裁判所は司法審査ができないということになります。
自由裁量に属する行為とは
行政権や立法権には、その裁量に委ねられている事項があります。裁量の範囲内で行われた行為は、それが妥当かどうか?という問題は生じる可能性はありますが、原則的には違法ではないので、司法審査は及ばないことになります。
統治行為論とは
統治行為とは、直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為です。この統治行為については裁判所は司法審査をしません。といことが、統治行為論という考え方になります。
部分社会の法理とは
純然な団体内部の問題(例えば大学など)については、団体の自主的、自立的な判断に委ねるべきで、裁判所は司法審査を控えるべきという考え方になります。
憲法の解釈上の限界の判例
警察法改正無効事件(自立権に属する行為)
砂川事件(統治行為、自由裁量)
苫米地事件(統治行為論)
地方議会議員懲罰の司法審査(部分社会の法理)
共産党袴田事件(部分社会の法理)
富山大学事件(部分社会の法理)
などを参照にしてください。
また、砂川事件と苫米地事件の違い(砂川事件においては統治行為論に加えて自由裁量の考えを含めたような表現をしました。)・共産党袴田事件と富山大学事件(「他にそれが一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることを肯認するに足りる特段の事情がない限り、裁判所の司法審査の対象とにはならない。」という表現は大切なポイントです。)の違いなども把握しておけば、司法権の限界については完璧です。
まとめ
裁判所の組織や権能についても、憲法は規定していますが、今回は司法権の範囲や限界について書いてきました。
次回は憲法14条、法の下の平等について書いていきます。
法律の勉強は大変なことも多いですが、誰もが通る道です。
諦めずにやると決めたのなら、妥協せずに頑張っていきましょう。
勉強の基本は計画を立てることから始まります。(計画通りにいくことはまぁないですが。。。)
行政書士試験などを勉強している方の参考になれば幸いです。